年間190万人もの人が訪れるという、軌跡の道の駅「川場田園プラザ」をご存知でしょうか?
かつて赤字経営に苦しみ廃止寸前だったこの道の駅を、社長に就任するや否や、驚くべき手腕でよみがえらせた「永井彰一さん」という方がいます。
11月7日放送の「カンブリア宮殿」でご紹介されるということで、この永井彰一さんの経歴などをまとめてみました!
■永井彰一氏が田園プラザ川場をよみがえらせた手腕とは?
永井氏が道の駅 川場田園プラザ(運営会社は株式会社 田園プラザ川場)の社長に就任したのは2007年のことでした。
その当時、川場田園プラザはオープンして10年ほど経っていましたが、すでに赤字がかさんでいました。
そこへ、地元の「永井酒造」の5代目で、「水芭蕉」のヒットや海外進出の手腕を買われた永井氏に、社長就任のオファーがありました。
田園プラザ川場の社長となった永井氏は、そこで3つの大きな改革に着手します。
社員の意識改革
「今までのように賞与は払えないから、嫌なら辞めてください」
永井氏は社長に就任するや、このような思い切った宣言をしたそうです。
当時の社員は
「ごみをまたぐ田園プラザの社員」「あいさつをしない田園プラザの社員」といった言葉で囃されるほど、意識が低かったようです。
まずはその意識の改革を断行。
結局社員はひとりも辞めなかったので、事業部ごとに何をしていて、どんな作業効率なのかという細かいところをじっくり聞いていきました。
サービス・商品など全ての見直し
永井氏は土日はどこかの現場に入って、従業員の意見やお客さんの反応を観察しているそうです。
ラーメン屋でラーメンをつくっていたり、そば屋で食器洗いをしていたり、パン屋に行ってトレーを拭いているかと思えば、ソフトクリーム屋さんで列の整理をしていたり……。
そういったなかで細かい意見を吸い上げ、商品やサービスの改善に生かしているとのこと。
お客さん、仕入れ先、納品先に対しての考え方を変える
就任当時、社員の中では「商品を買ってやっている」「売ってやっている」という意識がすごく強かったようです。
サービス業としての基本の心構えができていなかったんですね。
そこで社員に「来ていただいてあ りがとうございます」「納品していただいてありがとうご ざいます」という意識を植え付けていきました。
その結果、2ヶ月もすると現場の雰囲気もみるみる変わっていきました。
こうした改革の結果、1年後には黒字へ転換し、無事賞与を払うことができたそうです(笑)
■永井彰一氏の意外な生い立ちとキャリア
永井氏が20代の頃、家業を継ぐのがすごく嫌だったとのこと。
折しもバブル期で、スキー場開発やリゾート開発がブームだったこともあり、スキー場開発に生かせないかと、当時始まったばかりのワーキングホリデーを利用して、単身カナダへ渡りました。
カナダのウィスラーで1年ほど働いたのですが、実家から捜索願を出されるまでされて家に引き戻されました。
帰国してからは、アメリカで関心をもったアウトレットを国内で提案してみたものの、時代が早すぎて断られました。
現在のアウトレットの盛況ぶりをみれば、その先見の明には感心させられますね。
また、家業にも関心をもち始め、全国20ヶ所もの蔵を巡っては「水芭蕉」の開発に成功し、全国で評判になるほどになりました。
そのとき、たまたま見かけた和洋折衷のレストランに興味をもち、海外進出に挑戦したものの、これまた時代が早すぎて1度撤退をされています。
その後、海外での日本ブームに目をつけられ、再び海外進出に挑戦され、成功を収められています。
こういった手腕が高く評価され、田園プラザ川場への社長就任につながったのです。
■永井彰一氏が描く今後の展望
永井氏は、昨年に銀座で「新ぐんまちゃん家」という店舗を展開されています。
ここは、ぐんま総合情報センターで、群馬のPR・群馬県の付加価値を高めるといった目標を掲げていらっしゃいます。
ここでは、田園プラザベーカリーでしか買えない「ふわとろ食パン」も売っていることがあるそうですよ!
田園プラザ川場で培ったノウハウやマーケティング手法をいかして、銀座という特殊な地域での運営を試みています。
その他、若い頃の海外経験を活かし、ニューヨークやロサンゼルスに、アメリカ版の道の駅を作るという夢をもっていらっしゃいます。
川場田園プラザを全国区に育て上げた永井氏ですから、きっと成功されることでしょう!
ぜひ応援していきたいですね。
11月7日の「カンブリア宮殿」で、どんなお話が聞けるのか楽しみにしたいと思います。
カンブリア宮殿PV
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